補強土工法の歴史

出典: 産業技術サービスセンター『斜面・盛土補強土工法技術総覧』
中国の古典的な補強土工法
補強土工法(ほきょうどこうほう)のルーツは、特に中国の遺跡において、いくつもの興味ある実例が見いだされる。
中国古代の補強土質構造物は、植物質材料を補強材として築造されたが、主な例は表1.1に示すとおりである。

表1.1 中国における天然材料を用いて補強された土質構造物の遺跡の例


時代 西暦年 目的と技術 遺跡の場所 その他
前漢 BC202〜AD8 盛土・壁体であり、葦やタマリスクの枝を束ねて、版築土層と交互に盛上げたもの。 甘粛省敦煌の近く。 “漢代長城”と呼ばれる。
城門であり、アドベと葦を使用。 同上。 “玉門関”の名で知られる。
住居のオフィスで、工法は同上。 同上。 “三間房”の名で知られる。
後漢 AD25〜220 都城壁であり、いわゆる“築土構木”。 陝西省西安など  
AD618〜907 烽火台であり、葦や小枝を版築土に併用。 甘粛省敦煌の近く。  
仏塔であり、アドベに木材や小枝を併用。 同上。  

西域における漢代長城は、図1.1に示すように、葦、タマリスク(柳の一種)などの小枝を粗朶(そだ、小枝をマット状に束ねたもの)状にして、その引張り抵抗力を経験的に利用して、版築土層と交互に敷設してかなりの延長にわたって築造された。現在は、土の珪酸分が粗朶に浸出してガラス状になり、上と粗朶とは一体になっているといわれる。

図1.1 西域に現存する漢代長城



前漢のBC2世紀に編纂(へんさん)された淡南子(えなんじ)という書に記されている“築土構木”は、木材を骨組として、その周囲を版築土で囲む技術であり、一般に土木の語源とされている。
原文によれば、これが室屋築造の技術であったことが分かるが、都城の築造にも応用され、降って元代(AD1272〜1367)に築造のものがよく調べられているので、築上構木の技術が永く継承されたことが分かる。
唐代に築造された補強土質構造物としては、烽火台と仏塔に残っていて、葦や小枝あるいは木材を補強材としている。前漢と唐代に築造された土質構造物には、アドベ(日干し土れんが)も材料として使われている。
現在の中国では、こうした歴史上の補強土工法がそのまま継承されているわけではなく、すでにある範囲のシンセティック材料が用いられている。
なお中東では、メソポタミア(BC3000年〜)の最古の大盛土として知られるイラク、ウルの神殿盛土では、その底部で、歴青材を被覆した葦の編んだものが発見されている。
日本の古典的な補強土工法
広義の補強土として、旧約聖書では、出エジプト記に現われるわら混合のアドベの記述があり、日本では古事記に記されている竹蛇籠がある。現代にも通用する補強材料は粗朶であり、それを軟弱地盤上に敷いて盛土工事が行われた。
“粗朶洗床”と呼ばれる工法であり、江戸後期にはよく使われ(図1.2)、その後、永く1960年代まで継承された。“オランダ工法”と呼ばれることもあったが、軟弱地盤上の盛土技術は、特に沖積地帯において開発されてきた日本では、古くからの技術課題であったので、日本独自に考案されたことも考えられる。

図1.2 江戸期の粗朶沈床の図

 

補強土質構造物というよりは、土工における補強工法というのがふさわしい歴史的工法は、図1.3に示すように、治山・治水工事においてよく応用された。竹材の利用が顕著である。

図1.2 江戸期の粗朶沈床の図

 

軟弱地盤に杭打ちを行い,その上に粗朶を敷いてから盛土を行う工法は、オランダ,イタリーにおいても、古い史実が多いが、日本でも類似の実例があったに違いない。